妊娠・出産・育児日記

子猫と金子

2009年2月26日:代表ブログ(2007年10月〜2010年10月)掲載からの転用

代表 平野聡子 / satoko hirano

初の妊娠、出産、育児。約4年間の記録。

前回の日記に書いたような、夢とウツツの狭間をさまよっている時に頭に浮かぶことがかなり支離滅裂だ。

 

普段はすっかり忘れているような昔の超・どうでもいいことでそのどうでも良さというか「何でこれが気になっていたんだろう」ということに我ながら少々おどろく。

 

たとえば
「大学の時に、出席番号が隣だからという理由だけで初めて友達になり一度だけ家にまで泊まりにいったが、その後すっかり疎遠になってしまった口数の少ないあの子と、その一晩のうちに枕をならべて話した内容」
とか
「1学期で学校を辞めてしまったロカビリーの男の子から(彼女でもないし好かれてたわけでもないと思うのに何故か)「子猫ちゃん」と呼ばれていた時期があったが、アクセントが「子猫」の「ね」ではなく「金子ちゃん」の発音にそっくりだった。もしかして苗字を勘違いされてただけなのか?」
みたいな、ホントに些細なことばかりで書くのも憚れることのオンパレード。もっと自分にとって重要な出来事は他にあって、そのことは意識がはっきりしている時でもしっかり覚えているのだが、もうろうとしている時の記憶は普段は忘れていることばかりで、雑然としている。
よく「夢を見るというのは脳が記憶を整理して引き出しに閉まっている最中なのだ」みたいな話を聞くが、ひとの脳味噌ってフシギだなー。

 

ひょっとして死ぬ間際もそうなんだろうか。
超・どうでもいいことを考えるんだろうか。
わたしが死ぬ時に「考えてることがスクリーンに映し出せる夢の時代」が到来していたらどうしよう。せっかくならもっといい思い出とか残した人々の幸せを祈ったりしたいもの。
「子猫ちゃん」と「金子ちゃん」の発音の違いがスクリーンにバーン!と投射されて、その場に居合わせた人々の頭上に大きなクエスチョンマークが出ている様は想像したくない。

 

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むかし流行ったやつ。シンプルな脳内してはるわねぇ。