ミルクジャポンブログ記事

〈木村家8年の記録×井手康郎〉写真展のおしらせ

2016年6月9日:ミルクジャポンブログ(2012年4月〜2016年9月)掲載からの転用

代表 平野聡子 / satoko hirano

ミルクジャポンブログに約4年間の連載。テーマはお出かけ。

 

こんにちは!

ひさびさの更新です。

ここのところinstagramで漫画を始めたり、WEB SHOPをオープンさせたりして、バタバタしていたのでした(さり気なく宣伝)。

baby toiによるbab storeは、赤ちゃんをお迎えするための出産準備品、寝かしつけのためのグッズが充実してますので、ぜひ遊びにきてくださいね。

 

よかったら遊びにくるだけじゃなく、お安くしとくので買ってくださいね(ガッツリ宣伝)。

 

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人生という名の旅の途中

さて、また私事ですが、8年住んだ家を引っ越すことになりました。

以前に、こちらで「人生どうする期」を迎えていたことを報告しましたが、今回の引っ越しはバーン!と住環境を変える引っ越し、というよりは「小さなことからコツコツと」西川きよし的引っ越しです。

 

今年は、自分の仕事を事業化したり、長過ぎる構想3年のWEB SHOPをオープンさせたりで(しつこい?また宣伝)いろいろと慌ただしい動きがあったので、スモールステップ法でいこうかな、という結論になりました。

まだまだ、人生という名の旅の途中。

迷える子羊のセンチメンタル・ジャーニー。

これからも、時に大胆に、時に中学生並みの鬱陶しいほどの繊細さでTOKYOをサヴァイブしていく所存であります。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

8年というと、1歳だった赤ちゃんが小学校3年生になる年月。

思い出がありすぎて、何を見ても何かを思い出します。

「目に映るすべてのものはメッセージ」状態で、ここを離れるかと思うと、もう寂しくて、とめどなく涙がこぼれてくるのです。

あれ、じゃあ、なんで引っ越すんだっけ?

と、ノスタルジックにかられて自問自答しそうになるのですが、すべては前へ進むため。

そこで、家具を全て運びだしたあとの、もぬけの殻になった我が家で写真展を開催しようということになりました。

 

2日間限定展示「木村家8年の記録」

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GRACABI inc.代表の写真家・井手康郎氏が8年間に渡り、私たち家族を撮影してくれた計8枚の写真を展示します。

2日間限定、しかもかなり限られた時間内での展覧会ですが、

お時間のゆるす方はぜひ、ぶらりとお越しください。

 

木村家8年の記録 ×写真家・井手康郎
◎開催日  6月25日(土) 26日(日)
open11:00/close15:30
◎場所等、詳細はFBイベントページをご覧ください。
※マンションの一室での展示になります。
※イベントは終了しました。たくさんのご参加ありがとうございました。

 

 

以下、写真展開催にあたって我が家の家さん(47歳)からメッセージをいただきました。

 

どうも、家です。

 

家といっても、僕は築47年の古マンションの一室。

 

人間でいうと、脂ののった管理職世代、と言いたいところだけど

流行りの太陽光発電とか、オール電化の最新鋭ハイブリッドマンション達から見たら、じいさん通り越して「化石」もいいところ。

 

よく言えば「ビンテージ」とか「レトロ」とか、「イームズっぽい」とかね。

だけど、網戸もねぇ、追い焚きもねぇ、床暖房は何者だ?ってなお粗末な始末だ。

 

ところで、そんなビンテージな僕に8年も住んだ、物好きな家族がいたんだ。

働き盛りの両親、息子(8)、娘(2)の4人家族。

 

家族が引っ越してきたのは、この息子が1歳の時だった。

まだ歩き始めたばかりの、色白ほっぺで泣き虫の赤ちゃんだったんだ。

 

今じゃ、縦も横も学年1番のでっかさを誇る、西郷どんみたいな男の子に成長しているこの息子。

ウィルスの方が逃げ出すくらいに頑丈だけれど、8年前はそうじゃなかった。

週末ごとに熱を出すし、入院したこともあった。

初めて、高熱でけいれんを起こしたのも、この家だった。

 

あの時の、両親のテンパりようったら、なかったね。

母親は部屋着のまま、父親なんかは裸足のまま、仕事を抜けだして救急病院へ直行したんだ。

「死んじゃうかも」って真っ青だった。

 

その後も、やれベッドから落ちた、やれ深夜に高熱が出た、やれ変な発疹が出た、そのたびに時間も問わず救急病院に駆け込んだ。

 

「ハナクソを食べているようなんですが、、、」

と、母親が真顔でお医者さんに相談している姿には、腹を抱えて笑わせてもらったよ。

人間の子は、そんな簡単には死なない。少なくともハナクソでは死なない。

って分かるまでに、この両親は丸2年程かかったね。

 

この息子が幼稚園に通い出すようになると、母親も仕事を再開して、また慌ただしい毎日が始まった。

 

仕事が忙しくてなかなか平日は家に帰れない父親と、夜な夜なケンカしてたこともあったなぁ。

 

だけど朝になると、淹れたてのコーヒーの匂いと、お弁当作りのトントンというリズミカルな包丁の音が聞こえてきて、僕はホッとしてた。

この家族の唯一のいいところは、「切り替えの早さ」なんだ。

 

息子がマイペース過ぎて悩んだり、ガミガミいってた母親がいつしか「面白いなら良い」みたいなテキトーな価値観に変わっていったのも、廊下にまで声が筒抜けな僕の中で過ごした、ここ数年のことだ。

 

Everything’s gonna be all right.〈すべてうまくいくよ〉

僕はいつもそう思ってる。できれば、住んでる人にもそう思ってもらいたい。

 

そんな中、突然のニューカマーがやってきた。

6歳下の女の子の赤ちゃんが生まれたんだ。

この時の、家族のはしゃっぎっぷりは、今でも鮮明に覚えてる。

まず、父親がはりきって3段ベッドを購入。

これを機に、毎日がスペシャル(合宿)状態に突入したんだ。

 

すっかり乳児の扱いを忘れた頃にやってきた赤ちゃんだったから、またもや家族はおもしろい程にテンパった。

母親が出かけている時に、父親と息子が、ハァハァと荒い息遣いでこの赤ちゃんにミルクを与えてる様は「宗教画かよ!」と突っ込みたくなるぐらい、ほとばしる緊張感だったよ。

 

そのニューカマーこと、娘がはじめてしゃべったのも、はじめてのゴハンを食べたのも、最初の一歩を踏み出したのも、自慢じゃないけど全部、僕の中での出来事だ。

今では家族の女帝のような存在の彼女だけど、赤ちゃんのころは、本当に可愛かったんだ。

 

それまで、自分のことだけで手一杯だった息子が、この妹にやさしくやさしく接してたのも覚えてる。

しまいには、自分のおもちゃを奪われて、振り回されて、さらにそれでどつかれる。という山賊も真っ青な暴虐の限りを尽くされても、涙目で

「さらちゃんは、赤ちゃんだから仕方ないよね。」

と呟いていたのには、さすがの僕も驚いた。

 

あの泣き虫で、すぐ熱を出していた息子は、この8年でずいぶん成長してたんだ。

僕が思っているよりも、ずっとね。

 

いつの間にか、ランドセルを背負って、僕から「いってきます!」と出かけていって「ただいま」と帰ってくるようになった。

ひとりで、お留守番だってできるんだよ。

男らしく「全然、余裕だし!」とか言ってる。

でもホントはまだちょっぴり、オバケを怖がってるってことはナイショにしとく。

 

2歳になった妹は、外出先で疲れたり、眠くなったりすると

「はやくおうちにかえろ」

と言うようになったらしい。

その「おうち」が「僕」で、彼女にとって一番安心できる場所、だと感じてくれていることが今はただただ、嬉しい。

 

「そうだ、君のおうちだよ。早く帰っておいで」と誇らしい気分になる。

 

だけど、それもあと1週間の話。

この家族は、1週間後に引っ越すことになった。

 

僕は、賃貸物件だ。

借り主が入れ替わる運命は、避けられない。

さよならだけが人生だ。と知ってはいたはずなのに。

ここのところ、なぜだろう。思い出ばかりが蘇るのは、歳のせいかな。

 

最近、この家の洗濯物が乾きにくいのは、そのせいだ。

 

最後に、この家族を1年に1度、8年間で8枚撮ってきた写真家の写真展を、この家でやるそうだ。

僕がこの家族をどんな風に見守ってきたか、たくさんの人に見てほしい。

 

その少しの時間が、この家族にとって、次の「家」に行くまでの、

僕にとってはまだ見ぬ新しい「家族」を迎えるための

心のベンチタイムに、なりますように。

 

そして誰かの「一番安心できる場所」を考える、きっかけになりますように。

 

 

Everything’s gonna be all right.

507号室より。