妊娠・出産・育児日記

わかりやすい事はなんて大事なんだろう

2008年10月19日:代表ブログ(2007年10月〜2010年10月)掲載からの転用

代表 平野聡子 / satoko hirano

初の妊娠、出産、育児。約4年間の記録。

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横浜トリエンナーレに行く。

すごい参加アーティスト数なので全作品を観るのはハナから諦めて昼過ぎに家を出て中華街でのんびりゴハンを食べ、ビールを飲んだりしてホロ酔いで山下公園を散歩しつつ赤レンガ倉庫へゴー!
会場は子連れにやさしく、係のひとが親切かつ速やかにエレベーターの手配やら案内をしてくれて助かった。長い会期期間にも関わらずスタッフのみなさんはテキパキとしてて爽やかな風のようだった(ありがとうOちゃん!)
 
もうひとつの会場、日本郵船海岸通倉庫で作品についてアレコレ言いながら鑑賞したり写真を撮ったりどさくさに紛れてレンを乗せたベビーカーを作品に見立てたりして遊んでいたらあっという間にタイムオーバーだった。
最後はカフェでお茶をしながら(と言ってもまた酒を飲んだりして)アートについて熱く語り、その場に居合わせたアーティスト・のびアニキと写真まで撮ってすっかり満足して帰路へ。
 
しかし、歳とともに自分にとって「わかりにくい作品」に対しての許容範囲がどんどんホントに音をたててどん!どん!と狭くなっているのを如実に感じます。
昔は「一応分かろうとする努力」をそれなりに惜しまなかったし真っ白い空間の隅に茄子がひとつ、ゴロンと床に置いてあるだけでも
 
「いやいや、それでも何か意味があるんじゃないか」とか
「ここから自分は何を得られるのか」とか
「茄子よお前は本当に茄子なのか」みたいな
 
貪欲さと疑り深さでもって重箱の隅をつつくようにギラギラと観てたけど(それはそれでめんどくさい)今はそんな作品に出会うとハニワみたいな顔で「なんかもーよくわかんないから次いっていいすか先輩」みたいな乾いた態度でご免。一方、切り口が分かり易い(ここでの分かり易いとはポピュラリティ溢れるものかどうか)作品に出会うと安心してじっくり観たくなる。たぶん子供なんかもそうだと思うんだけど。てことはこれはアートに対する態度が幼児化(阿呆化)してるということ?でももはや後にも戻れない。。。
マシュー・バーニーみたいに1フレ1フレ全部映像が美しい!とか銅鑼にじゃがいもを投げつけたらバーンってすごい音するよね、そりゃ!みたいな、そういう作品が好き!
 
みたいなことを、カフェで熱く話し合ったのです。
そういえば学生時代、手を変え品を変えわけのわからん作品ばかり作っていたわたし。それらを展示したギャラリーに来た母に
「わけが分からな過ぎて不快。吐きそう。」
とコメントされた事を思い出した。