昨日、無事に退院しました。
8日間病院で過ごしたのだけど(ばっちりGWをまたいで)元気なかったのは39度6分の熱がでた最初の1日だけで、CTやらレントゲンやらで動けなかったストレスのせいかそのあとはまぁ~元気にうごくうごく!
点滴が3日ほどとれなかったので、あのキャスターが付いた点滴ホルダーを持って追いかけるのが異常に大変だった。
引っぱりすぎると取れてしまい、地獄の苦しみの点滴針刺し直しの刑になるので(基本的に、大人と違って幼児の場合は何度も刺せないので一度刺したら刺しっぱな しなのだった!痛みは刺す時だけしか感じないんだって)それだけは避けねば…とTVの現場でカメラケーブルをさばくADさんのように後ろからサササッと付 いて行って「あ、今度はそっちスか、いやあっちスか」とコードが絡まないように気を遣ってえらい疲れた。
点滴が外れてからは、小児科病棟にあるプレイルームという遊び場に入り浸りだったレン氏。でも6階西病棟という廊下のいちばん奥の扉に鍵がかかった空間がすべての世界で、25年振りとかいう雨が一滴も降らなかったピーカンのGW期間中に一切外に出られない!というのは、どうにもせつなかった。
窓の外の光景がいっそうキラキラ輝いてみえた。
廊下の窓からちょうど自宅のマンションが見えたので、日が沈むころにはいつもそこへ行ってレンを抱っこしながら
「レンのおうちみえるね。かえりたいねぇ」と語り合った。(一方的に)
8日間を病院の中で過ごすことで、健康な時にはまったく知らなかった世界を垣間みた。いろいろ得るものはあったような気がする。
ひとつ気が付いたのはネガティブな現実に直面した時の「○○しないと△△できない」を→「○○したら△△できる!」へ変えることが快適に病院で時を過ごすためのコツだということ。一見、あたりまえのようだけど。
たとえば
「1週間しないと退院できない」
→「1週間したら退院できる」
「注射が終わらないとおやつが食べられない」
→「注射が終わったらおやつが食べられる」
「家に帰らないとソーセージが食べられない」
→「家に帰ったらなんとソーセージが食べられる」
…たとえがなんか切実になってしまったけど、そういう風に思わないと滅入ってしまってどうも前向きになれないのだ。
ただの言い回しの違いなんだけど、ふと口にしかけて、頭の中で修正することが何度かあった。基本自分は前者の考え方が身に付いてしまってたんだなと気が付いた。
これって日常生活にも生かせるんじゃないか。
ちょうど6日に東京インタラクティブ・アド・アワード(TIAA)の受賞作品発表があって、われらがbaby rattle bab babがブロンズに輝いた。
この状況、ものすごい悲喜こもごもだけどかつてないくらい最高に地味なゴールデンウィークに一筋の光が差したような気がした。
特にわたしの中で幸せ判定基準がものすごく下がっていて幸せ高感度アンテナびんびんのポリアンナ状態(「太陽に照らされるだけでシアワセ」「点滴なしで歩けることがシアワセ」など)だったのでくらくらするほど嬉しかった。
ありがとうございます。
でも退院の喜びは格別だ。
とにかく健康がいちばん!ということを痛感したGWでした。
レン氏、よくがんばった。おつかれさん!
大好きなソーセージをたくさん食べよう。