おそるべきこども

おそるべきこども、はじめます。

2017年5月25日

代表 平野聡子 / satoko hirano

こどもから学ぶ日々ブログ

ワークショップに参加してくれた、ある小さな女の子(2歳)のお父さんの話で忘れられない言葉があります。

 

「今、こうやって笑ってる時間を、彼女はもうちょっと成長したら忘れてしまうかもしれません。
いや、絶対覚えてない。さみしいけど。
ここでどんな話をしたか、とか。どんなことを考えてて、どんな面白いことを言ったか、とか。
だから代わりに、僕が覚えてなくっちゃなーって。
覚えておく責任、があるんじゃないかって思ってるんです。」

 

このお父さんがどんなに深く娘を愛しているかが、さざ波のようにザザザーっと伝わって来る、この言葉。

 

ああ、いいなあ。と思ったと同時に

「そうか、当の本人が忘れちゃうよね。だから、毎回記録に残す意味があるんだな。」

と、改めて思ったのを覚えています。(baby toiのワークショップは必ず作品写真及び記録とレポートを残しています)

 

こどもは、おもしろい。

こちらの予想や「こうなったらいいな」なんてゲスな思惑を、ひょいひょいと乗り越えて思わぬ方向へと、脇目も振らずに走っていく。天真爛漫に。

 

そして、忘れる。

澄み渡った青空のように、スコーン!と気持ちよく。
小さかった頃のアレコレを忘れて、特にお気に入りの断片的な記憶だけをポケットに大事にしまい、大きくなっていく。

 

だから、冒頭のお父さんが言ったように「代わりに覚えておかなくちゃな」と、私も思うのです。

これまで子育てをしながら、出会ったおもしろ言動の数々。

7年間にわたる親子向けワークショップ活動の中で、彼ら・彼女らが放った宝物言動の数々。

 

そういったものに出会うたび、ちょっと書き留めたり、SNSに書き散らしたりしていたメモを
こちらでまとめていきたいと思います。

 

6、7年ほど前に書いたそんなメモたちが、今になってtwitterでRTされて回ってきて、あまりの瑞々しさに震えることが何度かあったのも、これをやろうと思ったきっかけのひとつです。
自分が書いたくせにそんな風に感じてしまった、自分のおめでたさも大概だけれど、何より書いた自分が、その内容をきれいさっぱり忘れている。という脳の老化に驚きを禁じ得ません。

わたし、失いながら、生きてる。
なんてセンチメンタルに襲われる前に。
親子ともども、忘却の彼方へ、いっちゃう前に。